闖関東(ちんかんとう、簡体字:チュァングヮンドン) は、中国語で「関東(山海関の東)へ進出する」と言う意味で、19世紀後半から、20世紀前半にかけて行われた山東半島に棲む中国人(特に漢民族)の中国東北部への民族大移動を指すことが多い。
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中国東北部は、山海関の東に位置し、関東とも関外とも呼ばれ、他の地区と比べてもともと蒙古族、朝鮮族、満州民族などの少数民族だけが住む人口が希薄のところであった。清朝は1668年(康熙7年)、この地域に封禁政策を実施し、それ以来外部の者が入れないようにした。
19世紀後半になり、ロシアがシベリアからオホーツク海まで進攻したのを見て、1860年に関外(現:黒竜江省)に派遣されていた特普欽将軍などが朝廷に献策して、開放策に転じ、関内からの移民を奨励して、直隷(現:河北)、山東からの、主に土地が少ないまたは、定住地のない漢民族の人々が移動し、荒地を開墾して住み着くようになった。
1931年の満州事変までに、数百万規模の人々が関内から移動したといわれている。これは、アメリカの西部開拓、ロシアのシベリア開拓、日本の北海道移住・満州開拓などに比すことができる。
移民はおもに山東半島の貧しい人々が、新天地を求めて、陸路山海関を通り、あるいは清国北洋艦隊が威海衛(現:威海市)と旅順に軍港を設置後、煙台?旅順のフェリーを使っての海路で行なわれた。この結果、遼寧省南部の大連市では、今も老人たちの出身地の大部分が山東省出身者で占められ、大連方言も本来なら山東省周辺で話される膠遼方言群に属している。